みやこ町デジタルミュージアム

学芸員に聞いてみよう

みやこ町の文化財についてのよくある質問を記載しています。
文化財について疑問に思ったことを「学芸員に質問する」からお送りください。いただいた質問については可能な範囲で回答をホームページに記載させていただきます。

「絵画・彫刻・工芸品たんけん」への質問

  • 八幡神像というと、錫杖を持つお姿が一般的ですが、こちらの御神像もそうだったと考えてよいのでしょうか?また、八幡様は三神で一体(三所)のことが多いようですが、こちらの八幡様はどうだったのでしょう?

    07月07日

     当HPのサイドメニュー「みやこ町文化遺産」でご覧いただける通り、この御神像は右手が失われているため、そのことの確認ができませんが、ご指摘の通りおそらく錫杖をお持ちになっていたと考えられます。
     なお、この錫杖をもっていたとみられる右手が失われたのは、明治のはじめに「神仏判然(または分離)令」という「神社に仏像などおかないように」という明治政府の命令をうけ、あまりに仏像っぽいこの像を、正統の神像(衣冠束帯姿など)に改造しようと企てたものの、あまりに費用が嵩むため、そのことを当時の豊津藩政府からあきらめさせられたことに由来するようです(このことは、この顛末を記録した「長井手永大庄屋日記」の記事を紹介した「博物館だよりNo112」に詳しく紹介しています)。一旦は関係者もその理由であきらめたものの、当地方を代表する神様が、いつまでも仏像風なのはまずいとプレッシャーがかけられたのか「もはやこれしか…」と考えた関係者が、ご神像の、錫杖をもつその手を「エイや!」と打ち落とした可能性があるのです。今ある右手のないお姿には、想像ではありますが、どうもそうした知られざる、痛ましい物語がありそうです。「廃仏毀釈」ともよばれた一連の仏教排斥運動は、貴重な文化遺産に痛ましい傷跡を残しました。
     あと、この八幡様が単体だったのか、三体からなるいわゆる「八幡三所大菩薩」だったのかについては、記録や徴証がなくわかりません。生立八幡宮のような規模の神社(=郡の大社)であれば忠実に三体の神像が作られた可能性は高いのですが、これといった記録や伝承がなく不明です。かりにあったとしても一連の騒動で失われた可能性も高いですが、万一奇跡がおこっていれば、どこかの神社や篤志家の祠などに、2体の神像(比売神像・神功皇后像)がひっそりと祀られ、いつのひか日の目を見ることことを願いたいものです。

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