国分寺建立の詔には、「必ず好き処を択ひて、実に久しく長かるべし」つまり「国分寺は、必ず良い場所を選んで建て、永続させよ」とあります。豊前国分寺の場合は、政治の中心である国府に、近すぎもせず遠すぎもしない低丘陵が、国分寺建立の「好き処」として選ばれたのです。8世紀末に作られた歴史書『続日本紀』の記述から、豊前国分寺は、遅くとも天平勝宝8年、西暦756年までには、ほぼ完成していたものと考えられています。