障子ヶ岳城址は、障子ヶ岳の山頂域に所在する中世の山城跡です。14世紀前半に足利統氏が築城し、16世紀後半に黒田氏によって廃城とされるまで存続したと言われています。

勝山側からの障子ヶ岳全景: 障子ヶ岳は京都郡と田川郡境の標高427メートルの山です。豊前国府から太宰府へ向かう官道
「西海道豊前路」が京都郡から田川郡へと超える七曲峠の北側尾根筋にあります。 
 ふもとから眺めると、山頂付近は台形のように切り立って、大きな障子か壁があるように見えることからこの名前が付いたと言われています。