持山はその主峰が単独で存在したわけではなく、「蔵持連山」とも呼ぶべき三つの支峰や、山麓やゆかりの地に広がる鷹崛を筆頭としたミニ霊場群などからなります。加えて山伏たちが修行の成果の実践として里へ出かけて拓いた檀那場(信者の村や家々)が山の周辺各所にあり、そこでは活動の成果として祠やお堂、石碑など多種・多様な祈りのモニュメントや記念の場が営まれました。ここではそうした山伏と里人との交流の証となるさまざまな事物を紹介します。

鷹崛権現 -鷹の雄姿に見える自然の造形の妙-:




 平安時代に彦山の羅運上人によって開かれ、その後蔵持の山伏が別当(司祭)を務めた鷹崛権現。その名の通り鷹が翼を広げたような巨大な洞穴がご神体で、ここに彦山の神(三所権現)を祀っています。

「彦山四十九窟(ひこさんしじゅうくくつ)」と呼ばれる英彦山の洞窟信仰ネットワークの11番目の拠点とされ、地元・岩屋河内集落にはそのことを伝える縁起書が「宮柱」を務める家に残されており、悠久の歴史が伝えられています。